瓶詰ブログ

見た目は四十、心は中2

ゆたぼん氏の件で考えた、自由なモンスターとの付き合い方

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すでに旬を過ぎた話題ではあるけれど、炎上ネタを取っ掛かりにして「自由ってなんだろう」みたいなことを考えてみようと思う。YouTuberの話題作りに乗っかるわけではないが何となく心に棘が刺さった気がしたので自分自身のケアのためにも感想をまとめておく。

なお、ゆたぼん氏の意見、主張が本人自身の考えで発せられているものなのか、それとも保護者をはじめとした周囲の大人が言わせているものなのか、そしてそれらがどんな割合でブレンドされているのかは分からない。

以下「ゆたぼん氏」と記す場合は「氏の周囲の大人」も含むということを念頭に置いていただけるとありがたい。

小学生YouTuberの「ゆたぼん」氏が卒業証書を破った動画を上げていて微妙に話題になっていた。

ja.wikipedia.org



私はゆたぼん氏のことはよく知らなかったが、今回は以下のような経緯らしい。

・ゆたぼん氏は小学生YouTuber。登録者数14.2万人(2021年4月)
・ゆたぼん氏は小2くらい?から登校していなかったが6年生になり卒業することに

・髪を染めていることを理由に卒業式には出してもらえず
・学校側がゆたぼん氏のために個別で卒業証書授与式をやってくれることに
・ゆたぼん氏「卒業証書なんて別にほしくないけど来いと言われたので」授与式に参加
・保護者は不参加とのことで、ゆたぼん氏一人で学校へ
・授与式は終始和やかなムード。特に断りもなく(映ってないだけかもしれないが)カメラを回すゆたぼん氏に対しても教師たちは「カメラ持っててあげようか」など優しく接する
・その日は何事もなく終了
・その後、湯田本氏は別の動画をアップ。卒業証書をカメラの前でびりびりと破り、何事もなかったかのようにプレゼントキャンペーンの告知を始める
・卒業証書を破ったことでいろいろ炎上

ゆたぼん氏いわく
「もらったものをどうしようともらった人の勝手。もし自分が誰かにあげたものを捨てられたりしても、自分は何とも思わない。卒業証書を渡した側でももらった側でもない外野が文句を言うな(大意)」*1

…というのが概要となる。まあどうでもいいといえばそれまでの話ではあるのだけれど。

ただ、一つ気になったのが「もらったものをどうしようともらった人の勝手」の部分。まずはこのゆたぼん氏の発言を検討してみる。

ゆたぼん氏側の主張の概要はこんな感じ。

・そもそももらいたくてもらったものではない
・もらったものをどうしようと自分の自由
・もし、自分が誰かにあげたものを捨てられたりしても自分は何とも思わない。もらった人の自由だから。

一方、これに対する批判としては主に以下のようなものが挙げられる。

・卒業証書を破くなんて非常識
・卒業証書を渡してくれた先生の気持ちを考えろ
・そもそも他人からもらったものを蔑ろに扱うとは何事だ

 

 双方の言い分をまとめると以下のようになる。

 

・ゆたぼん氏は自らの自由、自分自身の行動の権利を主張

・批判側は卒業証書を渡した側を慮った常識や道徳、品性を軸にした反論

自分視点の自由・権利の主張に対して、常識・道徳・品性の観点から批判しているという構造だ。なるほど、全くかみ合っていない。*2

 

たしかに、自由や権利の主張は当然許容されるべきだけど、やりすぎるとエゴイズムになってしまう。主張や意見は個人の自由だけれども公序良俗に反した行動や誹謗中傷、ヘイトスピーチが制限されるように、あまりに自己中心的で極端な意見には批判があってしかるべきだ。

この、「自由」を人質にしたエゴイズムというのはなかなか厄介で、これを主張する人は「日本国憲法」だの「民主主義」だのの聞きかじりの言葉をタテにして他人の批判を受け入れようとはしない。
否定と肯定」という映画を少し前に見たのだけれど、こんなシーンがあった。

ja.wikipedia.org


映画はホロコーストを調査しているユダヤアメリカ人の女性学者と、その論敵のイギリス人歴史学者の裁判の行方を描いたもの。イギリス人歴史学者は「ホロコーストは嘘」という歴史修正主義者なのだけれど、その反証のためにユダヤ系女性学者が大変な思いをする、というのが大まかな内容だ。

確かに何を言ったって「表現の自由」ではあるけれどじゃあ歴史を捻じ曲げて自分の都合の良い主張を通していいのかというとこれはNGだろう。

映画の中のユダヤ人女性学者のセリフに「歴史の捏造は表現の自由そのものへの敵対行為」(大意)というものがあり、自由をタテにしたエゴイズムに対する言葉を探していた私ははたと膝を打った。

ちょっと大げさかもしれないけれど、ゆたぼん氏がやっていることは「自由」という万人の権利を都合よくルールハックして自分の利を得ようとする行為だ。言ってみれば「自由」を蔑ろにして脅かす、「自由」の敵のなす所業、とも言える。

ゲームのキャラメイクに例えると、ゆたぼん氏(ゆたぼん氏的な人間、というべきか)はいわば自由にステータスを極振りした状態だといえる。自由に極振りするとエゴイストにクラスチェンジが可能になり「常識・道徳・品性」属性のダメージはまったく通らなくなる(もちろんエゴイストでない自由人もたくさんいる)。

問題なのは、彼を批判する側が「常識・道徳・品性」属性を過信している点だ。旧メガテンのメギドのような万能属性だと誤解しているのか「常識・道徳・品性」が通用しないはずがない、とダメージゼロの表示に気づかずに同じ武器を使い続ける。実際にはメギド無効の特殊属性のモンスターだったりするのにもかかわらず。*3

まあこの手の「自由に生きる」「非常識な成功」みたいなことを謳う人というのはいつの時代も一定数存在していて、これまたいつの世も一定数存在するこの手のルールハッカーに心酔する人々からお金を集めているのだろう。

ゆたぼん氏の動画を見ていたら、N国党の立花氏や元青汁王子、血液クレンジングでお馴染みのはあちゅう氏など錚錚たるメンバーとパーティーをしていたりして、まあ、そういうことなのかと妙に納得したりもしている。

結局、自由へのルールハッカーは会話が通じないモンスターみたいなものなので、正直対処のしようがない。「逃げる」コマンド一択だ。ただ、彼らに道徳属性の武器で戦いを挑む勇者も後を絶たないのでどうしてもその戦いの行く末が気になってしまうのも事実だ。しかし、ここは心を鬼にしてなるべく視界に入れないのが平穏な生活を送るための処世術というものだろう。

 

*1:※その後に「中学校いかない宣言」をして、ひろゆきと小競り合いをしたりするのだけれど今回の話題からは除外する

*2:※これらから派生したゆたぼん氏やその保護者に対する人格攻撃も見られたが、議論に値しないのでここでは扱わない。

*3:メガテンに倣って外道と書こうと思ったけどやめた