瓶詰ブログ

見た目は四十、心は中2

まだ格闘ゲームで消耗してるの? 趣味の最適化 ゲーム編

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四十も半ばに差し掛かり、僕も人並みに人生の残り時間が気になるようになってきた。

仮に70くらいまで元気でいられたとしてもあと25年程。大して時間は残されていない。

そこで人生の可処分時間を何に配分していくか、あらためて考えることにした。
日頃過ごしている時間を仕事とプライベートに大別してみると、アンコントローラブルな事象が多い仕事の時間に比べればプライベートの時間は制御しやすい。まずはそこから考えることにする。

自分の場合はゲームにかなりの時間を使っている。
その時間が有益なものになれば、可処分時間全体の有益さも底上げされるはずだ。

結論としてはいろいろ検討したけど「格ゲー」をやめることにした。

2019年11月に「格ゲーもう少しがんばってみる」と書いたけれど1年ちょっと経って考えが固まり、しばらくは一歩退くことにした。

ちなみに煽り気味のタイトルを付けたけれど、僕は対戦格闘ゲームは高度な知的遊戯だと思っているし、熱心なプレイヤーに対しては世の中の人並み以上に敬意を持っているつもりです。
ただ、あくまでも自分自身の状況や遊びに対する姿勢やと合わなくなってきたのでチューニングをする、という話です。

ではあらためて、格ゲーをやめようと思った理由は以下のとおり。

1 上達に時間がかかる

2 短いタームで高揚と落胆が繰り返されるので疲れる

これらを抽象化すると「自分がコントロールできない領域が大きい行為は疲れるので一線を引く」ということになる。

それぞれの理由を整理します。

1 上達に時間がかかる
理由:
格ゲープレイヤーなら理解できると思うけど
知識のインプットと手捌きの練習の手間が半端ない。

僕がプレイしていた「鉄拳7」というタイトルはキャラクターも技数も多く、
各種フレーム知識と自キャラの動き、コンボ練習、対戦相手のキャラ対策だけで膨大な時間を要してしまう。
少なくとも僕のような手捌きが不器用な人間とっては、自分で思考したことを正確に運用するための修練がとても長くなる。
思考の練度を向上させるのに時間を使うのであれば納得感があるが、自分が苦手な(コントロールしづらい)動作の練習に時間をかけることに徒労感を感じてしまったのだ。

2 短いタームで高揚と落胆が繰り返されるので疲れる
理由:

上記の1とも関連するが
長い時間をかけて練習しても成果に結びついていることを実感しにくいことも疲労の原因の1つだ。

もちろん対戦ゲームなので勝ったり負けたりがあるのは当然で、そこが一番楽しいところなのは理解している。ただ1ゲームの時間が短いので(1分程度で終わることも)感情のアップダウンの頻度が高すぎてものすごく疲弊する。

これは性格なのかもしれないが他人との勝敗というアンコントローラブルな事象に分単位で一喜一憂することに価値を見出せなくなってしまったのだ。

これらが「自分がコントロールできない」の内容になる。
さらに、このように時間をかけて修練してアンコントローラブルな事象を乗り越えてゲームに勝利したときに得られる高揚感。この感覚を持つことがなんだか脳内麻薬に支配されている気がしてしまいどうにもノレなくなってしまった。つまりある種の依存症になっているのを自覚しまったことが格ゲーをやめる理由としては大きい。

負けるとネガティブな気分になり、勝っても支配される感覚を持ってしまう……と自分自身が捉える
ようになってしまった以上、もはや自分から身を引くしかない。

いみじくも過去の自分が得た「格ゲーはパチンコのようなもの」という認識は、少なくとも自分にとっては正しかったのだ。

ただ、繰り返すけれど僕は対戦格闘ゲームを否定したりそのプレイヤーを揶揄するつもりは全くない。物心ついた時からアーケードゲームに親しんでいた者としては格ゲーはやはり「ゲームの華」だし、上で述べた僕にとっての格ゲーのデメリットは、そのまま格ゲーを突き詰めたプレイヤーに対しての称賛の理由になる。

格ゲーやめてから変わったこと(趣味の領域において)としては以下が挙げられる。

・プレイ自体の時間も減り、調べの時間もなくなった。つまり他人との勝敗という不確定なものを得るためのコストが激減した。
・そのかわり、自分自身のみと向き合ってスキルを高めるゲーム(自分の場合はシューティングのクリア実践とか)で遊ぶ時間が増えた

まあゲームに時間を使っていることには変わりないのだけれど「ゲームに費やす時間の最適化」はできた気がする。ゲーム時間そのものをどうするかはまた考える。